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『レイルウェイ 運命の旅路』をもう一度考える

購読している地方紙の文化欄に、
『レイルウェイ 運命の旅路』を観た岡山大大学院准教授の
記事が掲載されており、興味深く読みました。
主題としては、敵対国間の戦後の相互理解の困難さについて
書かれた記事です。
記事を書いた中尾知代准教授はメディア表象論を専門とし、
元兵士と家族を対象にしたオーラルヒストリーの手法で
捕虜・抑留者問題などを研究されている方。
さらに永瀬隆氏とは約20年交流があり、エリック・ローマクス氏にも
面談した経験があるのだそうです(山陽新聞の当該記事に
そう書かれています)。
以下、引用は山陽新聞(2014年7月14日付)から。

まず、永瀬隆氏についてこのように紹介されていました。
「永瀬隆氏(2011年死去、倉敷市)は英国で最も有名な
日本人の1人だ。旧日本軍通訳として、元連合軍捕虜を使役した
泰緬鉄道(タイ-旧ビルマ間)の建設に従事し、戦後、多くの
捕虜との和解や慰霊活動に身をささげた、「改心した元敵」の
象徴だからである。」
そしてこの映画については
「・・・永瀬氏と元英国人捕虜のエリック・ローマクス氏(12年死去)
の交流を描いた映画『レイルウェイ 運命の旅路』は、捕虜の
PTSD(心的外傷後ストレス障害)と彼らの視点を知る絶好の機会だ。」
と述べています。

何よりもまず、准教授の記事のサブタイトルとして掲げられた
「何もかも戦争のせいか」という問いかけに私はハッとしました。
『レイルウェイ・・・』の中で、ローマクスと永瀬が長年の
ときを経て再会するという緊迫したシークエンスがある。
先日の拙ブログ感想記事で、私はこの場面に違和感を持ったと
書いています。
なぜ、ローマクス氏が永瀬氏個人を憎しみの標的にしたか
がわからなかった、と。
しかし、後になって中尾准教授の記事を読むと、その疑問自体が問題
であることに気づかされました。
中尾准教授はこう述べています。
「・・・日本軍の責任や通訳の立場を主張する永瀬氏(真田広之)が
『個人の責任』を問われる場面は、捕虜収容所などの残酷さを
『何もかも戦争のせい』にしてきた日本人にとって示唆的だ。」
そう言われてみると・・・映画『ハンナ・アーレント』で
「悪の凡庸さ」について何か一つ学んだような気になっていたけれど、
やっぱり私自身の中にもこの「悪の凡庸さ」が
根づいてるのかもしれません。
「悪いのは戦争だ」と思いたい気持ちはどこかにある・・・。
無意識のうちに。
※拙ブログ管理人は戦争を知らない世代です。

さらに、映画では省略されていたローマクス氏の家族(二人目の妻パティと
出会う以前の家族)について書かれていた内容にもショックを受けました。
「ローマクス氏の最初の妻は夫の人格変化に絶えきれず(原文ママ)
離婚し、娘もストレスで早世した。ローマクス氏は、永瀬氏との和解後も
他の元日本兵の責任を追い続けた。」
戦争を直に経験した者だけでなく、その家族や子孫にまで
波及する戦争の後遺症。
そして、ローマクス氏が永瀬氏だけを憎んでいたわけではないことが
この記事を読んでわかりました。
また、准教授の記事の最後にこうある。
「・・・永瀬氏と妻の藤原佳子さんの活動はもっと多彩で豊かだったので
著書や映画館のパネル展示で補ってほしい。」
確かに映画の描写だけでは永瀬さんが和解のために具体的に
何をしてきたのかが今一つ伝わってこず、もやもやした気持ちになりましたからね。
そこはやはり、きちんと映画にも取り入れてほしかったなと思いますね。


拙ブログの感想記事はこちら↓

by porcupine2013 | 2014-07-14 15:36 | 映画雑記

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by porcupine2013